母が認知症になった話1

母が認知症になった話

ある日、私が実家に行くと出迎えた母が私の顔を見て

「とても不思議そうな顔」

をしていたので、「誰だか分かる?」と聞くと、母が

「えいこちゃんだっけ?」

と言いました。

当然私は「えいこ」でもなければ、男性です。(「えいこ」という名前は一般的には女性の名前に多いため)

以前から母の物忘れが多くなっていたのは薄々感じていました。

しかし、私の名前は良く覚えてくれていていました。

なので、私はショックを受けたのと同時に

「とうとう来るところまで来たか。」

という気持ちになりました。

このブログは、母の介護の記録と私達家族の奮闘を投稿していこうと思っています。

わかりにくい文章のところもあるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。

今まさに介護されている方、まだ介護とは縁遠い方にも何かしらのお役に立てたらと考えています。

私の気持ちとしては、あまり重苦しくならないように表現したいと考えています。

ユーモアも交えていきたいと思っています。

地域包括支援センターに電話

知り合いに母の状況を話したところ

「まずは、地域包括支援センターに連絡して、介護申請を進めたほうがいい。」

というアドバイスをもらいました。

私はすぐに母が住む地域包括支援センターの電話番号を調べて電話しました。

最初は別の人が電話に出て、母の名前と住所を話すと担当の人に代わってくれました。

担当者に母の名前を伝えると、すでに以前に訪問していたことが判明しました。

その時はまだ母の状態はそこまで悪くなく、単なる面接で終了したそうでした。

担当者に介護申請の仕方を教わり、後日申請をすることになりました。

母が住んでいる所は、地域包括支援センターは市役所の介護課内にあるとのことでした。

介護申請の申し込み

数日後、介護申請をするために市役所の窓口に行きました。

お昼時間だったため、担当者ではなく他の方が対応してくれました。

介護申請に必要なものは

後期高齢者保険証

医師の意見書

が必要だと言われましたが、どちらも持っていませんでした。

医師の意見書は、介護申請の際に市役所からかかりつけの病院に問い合わせをしてくれるとのことでした。

しかし、私の両親は大の病院嫌いで、かかりつけ医がいない状態でした。

困っていると、窓口の方が認知症の専門病医院を教えてくれました。

私は母の負担を考えて一番近い病院を紹介してもらい、その場で診察予約してもらいました。

とても親切に対応してもらったことはとても感謝しています。

保険証を持ってこなかったので、慌てて実家に取りに戻り申請手続きを済ませました。

病院での検査

いよいよ検査当日になり母を迎えに行くと、何かを感じ取っていたのか、若干緊張している様子でした。

私は母の負担を考えて、病院に行くことは伏せておきました。

特に嫌がる様子はなく、素直に車に乗ってくれて病院にも無事到着しました。

受付を済ませて、身長、体重、血液検査、MRIの順番で検査を進めていき、最後に認知症検査が始まりました。

最初は名前や年齢は答えられましたが、同じ言葉を繰り返す検査で母が怒ってしまい、検査が終了しました。

検査の後、医師の診察が始まりましたが、母の機嫌は直りませんでした。

問診後、MRI画像を見せてもらって状況説明を聞くと

脳の萎縮、特に海馬と右後頭部に萎縮が顕著です。

とのことでした。

海馬は記憶を司る機関で、そこが萎縮していると認知症が発症している可能性が高くなるとのことでした。

母の問診や検査結果で認知症との診断でした。

覚悟はしていましたが、本当に認知症だと知るとやっぱりショックでした。(心の準備はしていたつもりでしたが。)

認知症の症状を遅らせる薬の処方もしてもらい病院を後にしました。

次回は認定調査員の面接状況をお話したいと思います。

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